
アーカイヴ・アドバイザ
札幌市立大学デザイン学部
須之内 元洋
Motohiro Sunouchi
筒井 泰彦
Yasuhiko Tsutsui
森先生について
森正洋先生とは当初、雑誌編集者として、同郷の誼もあって、東京でお付き合いさせてもらっていました。
十数年後、佐賀へ戻ってからは、あたかも長い付き合いのある「若い友人の一人」のように接してもらっていましたが、実際はずっと私の「やきもの」に関する師匠でした。話していて目から鱗がポロポロ落ちる思いを何度もしたものでした。それにしても、「やきもの」に関していつも、あれほどムキになる人も珍しかったと思います。
亡くなってから、思いがけなくも、合同会社森正洋デザイン研究所の一員となり、森さんとさらに深くお付き合いするようになったのを不思議なご縁だと思っております。お付き合いすればするほど、本当に偉い人物だと思い知らされるばかりです。その実像をどうすれば世の中に伝えることができるか。宿題です。
井手 誠二郎
Seijiro Ide
森正洋さんの想い出
森さんは何事もいい加減にしない人だった。
森デザインにあこがれてやって来た外国の若者にも、私達に話すように、デザインについて熱を込めて語り、日本語があまり解らない彼等は、それでも眼を輝かせて聞いていた姿が今でも浮かんで来る。
古屋 伸治
Shinji Furuya
森正洋先生とのこと
焼物による壁画やオブジェ等のデザイン、制作を仕事としてきた私は、若い時から事ある毎に、森正洋先生に「やきもの」についての話を伺い、指導を受けてきました。
土や石を焼くと固くなる、灰と熱で色がつく、といった「やきもの」の原理をスタートとして、「やきもの」による表現の可能性を追い求めてきました。
森先生と一緒に仕事をした焼物公園(波佐見町)の陶壁画「陶磁の路」や「世界の窯」の制作時には、ずっと「やきもの」について深く考え、その可能性を話しつづけました。
完成後、この陶壁画を前に「若い人が、広い視野で焼物の奥深さを学んでもらうきっかけになれば…」と話しておられた森正洋先生。
森正洋デザイン研究所での、膨大な数の写真をデジタル化する作業の時でも、森先生のこの「やきもの」に対する熱い想いがひしひしと伝わってきました。
向井 良久
Yoshihisa Mukai
森正洋先生の想い出
森正洋先生の作品及びご本人との出会いは私が昭和53年に結婚した時からでした。
妻が持参した食器の大半は森先生の食器でした。妻の父は税理士で、その顧問先であった森先生。それに、森先生宅は妻の実家の近所でしたから実家に帰りました折には時折お目にかかりご挨拶致しておりました。世界的にも偉大なデザイナーであるとの素振り等は全く見せない気さくな方であり、人間的にも素晴らしい方との思いで約20年が過ぎました。
ところで、義理の父の税理士事務所をその後私が継承することになり、その結果、森先生とは私の顧問先としてのご縁を頂くことになりました。森先生は月々のデータを散歩がてらご自分でお届け頂いたり、私が資料内容の確認にご自宅を訪問したりしてきました。先生との話の中で忘れられないことが二つあります。
一つは「肥前陶磁器という伝統産業の火と技術を絶やさないための方策について。」です。これは私にとっても大きな課題で、多くの顧問先が陶磁器の原料メーカーや、窯として製品・作品の製作や、陶磁器の販売に関わっておられることから必死に取り組んでいるテーマでしたので、森先生と議論・相談をさせて頂きました。また、もう一つはろくろで作った私の自信作をご覧頂いた時の評価が「素人の(作品)はいいね。邪念がないから。」ということでした。その時は森先生から貶されたと感じましたが、素人である私にとっては「最大の褒め言葉であった。」のだと分かりました。以後、作陶の時間が取れていませんが、無心で挑戦することの素晴らしさをご教示頂いたことにも改めて感謝致しております。