画家 内山 孝
森 正洋君との出遭い
森君とは多摩美(多摩造形芸術専門学校・現多摩美大)で一学年違いで昭和二三年より二八年頃迄、上野毛と溝ノ口の校舎でよく会っていた。
青木稔雄(龍山)君は日本画科で私と同学年、一年後(昭和二三年)入学した高崎文夫・池田龍雄君は油絵科、森正洋君は図案科で、同郷の親しさで仲よく助け合って窮乏の学生生活を送った。敗戦後漸く復興復学の意欲にあふれた頃であった。特に図案科は創立以来の伝統もあり、杉浦菲水教授の後任山名文夫教授を中心に、OB・在校生は日宣美(日本宣伝美術協会展)その他のコンクールで成績を上げていた。森君の卒業後の消息は波佐見の工房より発するクラフト作品で国際的に評価注目されていることをマスコミで知って大いに喜んでいた。
一九八〇年代、私は有田の岩尾磁器KKで陶板壁画の大作を次々と作製することになり、有田を度々訪ねることになった。一夜白魚簗の料亭で青木君と盃を交わした。興に乗って森君を呼ぼうとした時、青木君はシブイ顔をして否(ノー)と言った。別の日に嬉野の森君のアトリエを訪問した。広い良い仕事場で奥さんのコーヒーもうまかった。陽が暮れて一杯やりたいと望んだ所、森君に先約があって仕方なく嬉野を辞した。改めて三人で盃を交わそうと提案したのだが、森君も「青木さんとはねェ」と渋る。故に多摩美三人会の酒宴は断念せざるを得なかった。如何様な事情か、私は空気が読めず不思議で、心残りであった。
二〇〇二年六月一八日、雨の中を竹橋の近代美術館へ「森正洋陶磁器デザインの革新展」へ行った。三階の全フロアーを使い回顧展として、すべての作品、モダーンな室内器具から小さいキッチン用品まで、創意あるクラフト作品は美しい白い清冽な森デザインの主張があふれていた。国内の賞は勿論、国際的に幾多の賞を受けているのは当然で、誇らしく、我事のようにうれしく思った。控室の森君と会い、お祝いを渡し、久しぶりに歓談した。
快い感動にひたりながら会場を出た所で、パッタリと池田龍雄君と会った。森君と会い親しく語ろうと誘ったら、今辞してきたのだと言って別れた。
数年前新宿三越で開催された「痴陶人展」に感銘を受け、良き絵付師のいたことに興奮した話をした。森君は長年痴陶人と親交があり、作品も沢山所蔵していると言う。小品でも一点欲しいなと独語した私に、森君は一つ送りましょうとのこと、軽く聞き流していたのが数日後、痴陶人の「蓋付小鉢」が送ってきた。花模様と富の字、配色描筆の美事な器を手にして森君の誠実・友情の厚さに心から感謝した。
二〇〇五年一一月一二日、森君は逝った。
銀座松屋には森正洋クラフトコーナーがある。立ち寄っては森君と今も会って話を交わしている。