佐賀県立博物館 宇治 章
「森先生のこと」
森正洋氏のことを何と呼んでいたかと思い起こしていた。
「森先生」だったと思う。これは先生自身に対してもだが、先生のことを人にいうときにも「森先生」であった。
〝森正洋〟の名は学生の頃から知っていた。大学の時、一学年上の先輩たちが森先生から話を聞いたといっていたので、次年度には私も森先生の授業が受けられると思っていたが、次の年は森先生の授業は無かった。
だから私がはじめて森先生にあったのは、それから十年以上もあと、九州陶磁文化館に勤務し始めた昭和六〇年だったと思う。
森先生は、いつもの人懐っこい笑顔で、初対面とは思えない気さくな話し振りであった。私の出身大学のことなどもよく知っていて、「あなたたちが頑張らないといけない」と叱咤激励された。そして何より印象的だったのが、「よく有田に来てくれた」と歓迎の言葉を口にしたことだった。どういうわけか、私のような若造(という歳でもなかったが)を、同じ問題意識をもつ同志とでも思ってもらったようで、以後もそのような関係であった。
森正洋作品から受ける印象、というか森デザインの本質を、自分でどう表現すればいいのかずっと思い続けてきた。
森先生の作品集に『セラミック・スタンダード』という本がある。本のタイトルを誰が決めたのかは知らないが、森作品を称して「スタンダード」という。「なるほど」と思う。
ただ「スタンダード=標準、規準。また、標準的であるさま。」であるが、森正洋のデザインには、「スタンダード=定番」の中にある、「普通の」、「くせのない」という「陳腐な」イメージはない。十分に遊び心もあり、個性的でもある。そしていつも新鮮で、正しい。そう、「正義」、「良心」といったものを感じるのである。そしてそれは森正洋の人柄にも感じられるものである。
森先生は、学生の作品などを批評して、時にかなり厳しい言葉を投げかける。ただその時でも、あとで必ずフォローの言葉を口にする。
「これは、君だけの問題じゃないんだ。僕はねぇ、僕自身に対する戒めのつもりもあって言っているんだ。悩むことだ。悩めばいいんだ。大いに悩むことだ」・・と。
また時として、大いに考え方が異なる事態に遭遇することもある。その時でも、「・・あるべきだ。・・すべきだ。」とはいわない。そのかわりに、
「僕はそういうのは嫌いだね。楽しくないよ。楽しくないことはやりたくないだよ」・・と。
大リーグのイチローが日本にいた頃、驚異的な打率で.400に迫っていた。話が森デザインの多くのGマーク製品のことになった。森作品のヒットの多さを指摘したときに、
「デザインの世界では四割、いや三割でも大したものだよ。僕なんか、三割もいっていないんじゃないかな。常にトライ・アンド・エラーだよ」・・と。
森先生流の謙遜であった。しかし、そこには地道に努力を続けるデザイナー森正洋の姿があった。デザインに王道はないと。